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<政治の幅はつねに生活の幅より狭い>

3月6日の朝日新聞の「天声人語」。小沢一郎秘書逮捕に絡み

「前略<お寒い政治の光景である▼「政治の幅はつねに生活の幅より狭い」と作家の埴谷雄高が書いていたのを思い出す。現実は政治の幅を超えて、先をゆく。それは仕方ないとして、膨張し疾走する現実に、今の政治はあまりに狭くて鈍すぎないか。与野党そろっての迷走が歯がゆさに輪をかける▼>後略」

 

埴谷氏の文章は「実存主義」昭和33年12月号に載った『権力について』という文章の冒頭にある。

 

「政治の幅はつねに生活の幅より狭い。本来生活に支えられているところの政治が、にもかかわらず、縷々、生活を支配していると人々から錯覚されるのは、それが黒い死をもたらす権力を持っているからにほかならない。一瞬の死が百年の生を脅し得る秘密を知って以来、数千年にわたって、嘗て一度たりとも、政治がその手のなかから死を手放したことはない。」(河出書房新社 埴谷雄高作品集3「序詞―権力について」より)

 

60年代から70年代に青春期にあったものであればどこかで一度は聞いたことのある一節でしょう。あるいは訳知り顔で他者に対して発したこともあるかもしれない。「政治の季節」の時代にはよく知られたフレーズであった。

 

 また、埴谷氏の『政治のなかの死』に内容を敷衍した文章があります。

 

「私たちがつねに見ているように、生活のなかにあるものはすべて政治のなかにある。そして、もちろん、常に生活は政治より大きい。いかに強権を隅々まで及ぼす政治といえども、生活がその政治の枠をたちまち越えて拡がっているのを遥か遠くまで眺め渡さねばならないのである。小さな魔法の圏のなかにいる政治は、そのとき、さながら一枚の巨大な拡大鏡をその真近な上に当てるごとく、自身のなかにあるすべてを誇張化して、なにものかを威嚇するように極限までその身を膨らませる。その理由は、政治がただただ生活に支えられているにもかかわらず、逆に、政治が生活を支配していると示したがり、また、自らもそう信じこみたいからにほかならない。」(河出書房新社 埴谷雄高作品集3「政治のなかの死」より)

 

 

 うーん「政治の幅は生活の幅より狭い」か。「注文の多い料理店」ならぬ「注文の少ない古書店」の店主はそう唸って、「生活の幅」を拡げるために、ひたすら書籍目録を増やす登録に向けキーをたたきます。