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沖縄・日本復帰37年 薩摩侵攻400年

明日は、5月15日.沖縄が日本に<復帰>(米国から日本への施政権返還)して37年になります。また、今年は、1609年薩摩が琉球に侵攻して400年目になります。

 

 先日、横浜の日本新聞博物館で開かれていた『戦後オキナワ あの日・あの時 「あんやたん」写真展』に行って来ました。(5月10日に終了)

 「あんやたん」とは沖縄のことば(うちなーぐち)で「あんなだったんだよ」という意味だそうです。

 地元紙「沖縄タイムス」が創刊60周年を迎えた記念の企画で、<戦後>沖縄の軌跡を200点以上の写真で伝える企画で、米軍統治時代の品々(B円=米軍統治下の軍票、Aサイン証書など)も展示されていました。

 

 23万余の人命が失われた、太平洋戦争の沖縄戦が事実上終結した1945年6月23日以降27年間のアメリカの軍政下におかれ、苦難の道を歩みつづけ、<日本への復帰>を「苦悩の弁証法」(谷川健一「沖縄・辺境の時間と空間」三一書房・1970年)的闘いを行ってきた沖縄の人々。

 1972年5月15日、「平和憲法国家日本へ」「核ぬき本土並み」「反戦復帰」などの願いがかなわずに失望のうちに<復帰>はなされ、現在も在日米軍の75パーセントの基地があり、「普天間飛行場」の移設問題についても「県内移設」へ反対の意思が強い「県民」

 

『戦後日本の「平和」は、戦争では「本土」の「捨て石」に、その後は米軍基地の「要石」にされた沖縄の犠牲があってのもの。この沖縄差別の現実を変えない限り、沖縄の「戦後」は永遠に「ゼロ」のままだ。』

(目取真 俊『沖縄「戦後」ゼロ年』生活人新書・NHK出版・2005年)

 

復帰後37年目の今、改めて「沖縄の施政権返還(日本復帰)」とは何であったのか。

沖縄の歴史、とりわけ<戦後>史を考えてみたいものです。「沖縄問題」とは「日本問題」にほかならないのですから。

 

※「Azuki堂だより、どうしたんだい。体調不良?売れすぎで「たより」まで手が回らない?(笑)」など御心配おかけしました。 「一週間のご無沙汰でした。ロッテ歌のアルバムです。」と名司会者・玉置宏さんのようにきちんと定期的に「たより」を書きたいのですが・・・。

「テーゲー主義」は改めないといけないなと店主は思うのでした。