· 

沖縄「慰霊の日」 “未完”の復帰

明日は、6月23日、太平洋戦争の沖縄戦が終結した日(司令官・牛島中将・長参謀長など軍トップが自決し、組織的戦闘が終わったとされる。以後も散発的戦闘は続いたが。)

 

『「平和の礎」新たに123人=23日に慰霊の日-沖縄

 沖縄県は21日までに、糸満市摩文仁の「平和の礎(いしじ)」に沖縄戦犠牲者123人の名前を新たに刻銘した。追加された犠牲者は1996年以来最少で、刻銘された人の数はこれで24万856人となった。

 日本で唯一住民が地上戦に巻き込まれた沖縄県では、1945年6月23日を沖縄戦終結の日とし「慰霊の日」と定めている。今年も23日には式典が開かれ、県全体で犠牲者の冥福を祈る。』(6月21日時事通信)

 

 昨年の、6月23日は「平和の礎」に名が刻まれている、叔父2人に線香と花をたむけていました。一人は1944年(昭和19年)12月30日比島で(享年21歳)、一人は1945年(昭和20年)6月20日具志頭村新城付近で戦死(享年20歳)。もちろん叔父たちに会ったことはありません。(遺骨も帰ってきていません。)

 

 ここ2カ月ほど、沖縄の戦後史について調べる必要があり、とりわけ、沖縄の「日本復帰」とは何であったのかについて少し勉強?をしてみました。

 

 敗戦から64年、沖縄の日本復帰から37年(復帰前は米国の軍政統治が27年続いた。)。

1972年、沖縄施政権返還(復帰)時に日米両政府の交わしたいわゆる

『「五・一五メモ」は返還後の沖縄における個々の基地の使用条件を定めたものであると同時に、(中略)原則的”白紙委任”方式により継続使用される排他的かつ広大な軍事拠点である「基地」が沖縄には90近く(沖縄本島に関していえば、その面積の約5分の1)も残置されたこと確認するものであった。』

( 『沖縄基地問題の歴史』明田川 融 みすず書房 2008年4月発行)

 また、復帰に関わる様々の「密約」(交渉当事者の元外務省幹部が証言しているにも関わらず)について「知らぬ存ぜぬ」で頬かむりしている政府。

 

沖縄が望んだ「復帰」は”未完”のままだと思う店主です。