夕刊を開くと、浅川マキさんが公演先の名古屋で亡くなったという。
「情念のこもった独特の歌唱スタイルで知られる歌手の浅川マキさんが死去した。67歳だった。公演のため滞在していた名古屋市のホテルで倒れているのが17日夜、見つかった。急性心不全とみられるという。以下略」1月18日「朝日新聞」
絶句である。
2年前、京都へ旅行した時、食事をしたお店に浅川マキライブのポスターが貼ってあった。確か、京大西部講堂ライブのポスターであった。まだまだ頑張っているんだとその時思いました。
学生時代、<熱気の溢れた時代>に新宿アートシアタ-、紀伊国屋ホールでの浅川マキさんの歌を聴きに行きました。マキさんは、年齢も含めて謎めいた存在、黒ずくめのスタイルで、私(たち)にとっては、いわば姐御的存在の人でした。
♪ 夕暮れの風が 頬をなぜる
いつもの店に行くのさ
仲のいい友達も少しはできて
そう捨てたもんじゃない (少年)
夕闇迫る路地を歩きながら、心地よい詩を口ずさんだこともありました。
「朝日のあたる家」はマキさんの歌がやはりしっくりきます。(ちあきなおみさんのもいいけれども)
作詞:真崎守 作曲:浅川マキの「死春記」も忘れることのできない代表作のひとつと思います。
♪めぐる季節の 人の世に
忘れ残りの 風が吹き
子守唄さえ ない夜に
死にゆく春も ありまする
浅川マキさんの死は、何か、私(たち)の青春期にいくつか大事にしてきたもののうちの一つが遠くに飛んでいったようです。
♪ふしぎな橋がこのまちにある
渡った人はかえらない
むかしむかしから橋はかわらない
水は流れないいつの日も
ふしぎな橋がこのまちにある
渡った人はかえらない
いろんな人がこの橋を渡る
渡った人はかえらない
赤く赤くぬった橋のたもとには
紅い紅い花が咲いている
ふしぎな橋がこのまちにある
渡った人はかえらない
ふしぎな橋がこのまちにある
渡った人はかえらない
みんなどこへ行った橋を渡ってから
いつかきっと私も渡るのさ
いろんな人がこの橋を渡る
渡った人はかえらない 「 赤い橋 」北山 修 作詞 山本幸三郎 作曲
浅川マキさんは 2010年1月17日「赤い橋」を渡りました。(合掌)