<沖縄返還交渉は「米政府にとっては外交史上まれにみる成功例」であった。>
沖縄施政権返還(沖縄の日本への復帰)は1972年5月15日でした。38年の月日が流れています。しかし、「復帰の日から何が変わったのか」という問いが今も続けられています。
5月15日深夜12:00からNHK・BS1は「沖縄返還と密約」を放送しました。
改めて「沖縄返還とは何だったのか」ということが問われている中で、「返還」へ動き出したきっかけから、結果として、米政府の「外交史上まれにみる成功例」としての「沖縄返還」を伝えたドキュメントでした。
琉球大学の我部政明教授の著した「沖縄返還とは何だったのか 日米戦後交渉史の中で」(2000年6月発行・NHKブックス)の中ですでに明らかにされているが、改めて「アメリカ政府」と「日本政府」の外交交渉における歴然たる力の差が浮き彫りにされていました。
戦後間もなく、沖縄の将来に関しては昭和天皇の「アメリカが沖縄を始め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している」というメッセージがあったことが明らかになっている。(「分割された領土」進藤榮一 「世界」第401号1979年4月)
「アメリカによる沖縄の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、長期(ロングターム)―25年から50年ないしそれ以上―の貸与(リース)をするという擬制(フィクション)の上になされるべきである。」(沖縄メッセージ「琉球諸島の将来に対する日本国天皇の意見」)
「再び沖縄が、昭和天皇と側近たちにとっての前進防衛基地ラインの要石として位置づけられることを意味した。」(「沖縄基地問題の歴史」明田川 融 みすず書房 2008年より)
BS1の放送では、知日派として知られるライシャワー駐日大使が日本における反戦・反米感情に衝撃を受け、「日米関係の悪化」に対する危惧から、70年の安保延長時に「沖縄の動向」が日米関係に影響を与えるという内容の「電文」を本国に送ったことから「沖縄返還」問題がはじまったという。
「土地強制収用・米軍の犯罪など」に対する沖縄の人々の怒りが「1965年4月28日」の祖国復帰大会に噴出し、アメリカ政府の中に「返還を視野に入れることが必要」との認識ができ、「琉球作業グループ」と呼ばれるチームが「返還戦略」を検討することになったという。当時の構成メンバーやメンバーの息子たちの証言により「返還の過程」が明らかになっていく。
国務省、国防総省 アメリカ議会などのそれぞれの立場からの沖縄返還ための条件が出される。施政権は返還しても「いままでどおりの基地の自由使用(核兵器の持ち込み、通過も自由になど)」「ベトナム戦費など財政赤字のアメリカにとっては返還に伴う費用負担を日本にさせる」など主に沖縄基地使用の現状を変えずに、しかも、沖縄占領統治につぎ込んだアメリカの費用の回収というアメリカの交渉戦略。
日本は対等に交渉できずに、表向きは「日本の国民感情に沿い核抜き本土並み」とするための若泉敬・密使とキッシンジャーとの秘密合意議事録を作成(核密約)、つかみ金といわれた返還に伴う費用、アメリカ側の負担費用の肩代わり密約など重要な内容については、沖縄はもとより日本国民に隠し「沖縄返還」を「成功」させた。
「核の密約」そして、返還に伴う巨額費用(総額6億8千万ドル余)を日本が負担し、沖縄を金で買い取ったといわれても反論できない内容ではなかったのではないでしょうか。
まさに「米政府にとっては外交史上まれにみる成功例」であった。
政権交代により、密約の存在が次々と公的に確認されつつあるが、まだまだ明らかにされていない闇があるとの疑いは消すことができません。
密使であった若泉敬氏は「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス -核密約の真実」を著し、「畏怖と自責の念に苛まれつつ」1996年(平成8年)自ら死を選ぶ。
(氏は、著作の刊行にあたり著作権使用料にあたる額を「沖縄戦で犠牲となられた関係者の方々の鎮魂と、ご遺族のために、ささやかなりともお役に立てたい」と希望した。)
一方、「沖縄返還なくして日本の戦後は終わらない。」と「沖縄返還」に政治生命をかけた?佐藤栄作首相は後年「ノーベル平和賞」を受けることになります。
(密約の存在を指摘されつつ知らぬ存ぜぬを通してきた歴代内閣・政府の責任についてはどう問われるのでしょうか。「情報公開裁判」についても関心を寄せていきたいものです。)
沖縄返還=日本への復帰から38年。そして、沖縄は「普天間基地移設」で「基地はいらない」と訴える、沖縄の苦悩は変わらない。一方、県外候補地・徳之島も基地移設・訓練場所としても拒絶。
「普天間基地移設」をどう解決するかのみが問題になっているように見えますが、「普天間基地移設」から私たちが考えなくてはならないことは、沖縄の歴史を含む日本の戦後史、そして、日米安保条約を含めた日米関係をトータルに見直す時期にあるのではないかと思うのです。