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5月 みすず 原発

 3月末のたよりから、月をひとつ飛ばして5月になってしまいました。

3・11のM9の大地震・津波・福島第一原子力発電所放射能漏れがもたらした日本の社会を覆う状況について見聞きしながら、なんとも落ち着かぬ精神状態の日々でした。

 ようやく、5月に入り、少しづつ、また「日常性」が戻りつつあります。

 発生後2カ月が過ぎ、震災後の復旧、復興については徐々に各地が動き出していると報道があります。(地域ごとの進み具合は一律ではないのでしょうが)

 福島原発についてのメディアの扱いも少しづつ縮小されている感じがあります、が、実際のところ「危機的状況」が去っているのではないことは、13日の新聞報道からも知ることができます。

 

 前回の「Azuki堂だより」で触れた、<違和感 2>について、的確に指摘していると思える文章(みすず書房PR誌「みすず5月号」に出会いました。

以下、引用が長いのですが。

 

 『3月11日に発生した福島第一原子力発電所の深刻な事故は、原発の安全神話を木っ端みじんに打ち砕き、日本社会の深層で進む「安全からの逃走」を、白日のもとに曝した。』

 

『3月11日に地震と津波に襲われて以来、東京電力の発表は一貫して、個別の事象の脈絡のないデータを大量に放出するスタイルを続けている。要するに事故の全容、危機の進行状態、予想されるリスクといった、国民にとって必要な情報はその中に紛れて埋もれて霧散している。

 意図的な隠ぺいかどうかの証拠はない。しかし、原子力関連の事故をいくつも取材した中で感じている共通の「手口」がこの方式であることは断言できる。メディアは「なぜ」を連発しなければ、真実には近づけない。近づくつもりがないなら別だが、結果だけを承って流すのは「広報」でしかないと知るべきだ。』

みすず 2011年5月号

塩谷喜雄…『「福島原発、安全からの逃走の果てに」 -消えた「自主」「民主」「公開」』

 

みすず5月号にはほかにも「震災・原発事故関連」の文章が載っています。

 なかでも、森まゆみさんが書かれた『「天を恐れよ」の旗―川辺茂さんのこと』(「みすず2003年3月号」の再録)は是非、お薦めします。

 石川県能登半島・志賀原子力発電所建設に反対を訴えた富来町(とぎまち)の元西海漁協組合長川辺茂さんについて8年前に書かれた文章です。

 

(川辺茂さんは故人となられている。志賀町に原発が建設され、2005年9月1日、富来町は志賀町と合併し、富来町の名は消え新「志賀町」となっています。)

 

 森さんは再録にあたり「まえがき」で書いています。

『その時、川辺さんの言っておられた言葉はいまこそ胸に突き刺さる』。

 電力会社などは絶対安全を主張してきたが

 『それは安全「神話」であって、宗教であって、科学ではなかった。東電が三号炉について「黒い煙が見えた」とだけ発表したとき、さすがの私ものけぞった。彼らは黒い煙の正体もわからなければ、それを制御することもできなかった。これが彼らの誇る「日本の技術」である。それなのに日本では川辺さんのようにまっとうな不信、不安を持つ人を変人、神懸かりなどと排除してきた。その結果が今日の事態である。』と。