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青空  10・8ショック  隔世の感

今日は、10月8日。あの日も今日のようなさわやかな秋の青空があった。

44年前、大学1年目の秋、サークルの親睦ソフトボールに若い学生たちが興じていた。野球が好きであった店主ももちろん参加し、楽しんだ。

 

その日は日曜日だと記憶しているが、何時頃であったか、高田馬場駅に電車が停車し、ドアが開くと、青いヘルメットをかぶった集団がホームに隊列をつくり座り込んでいるのが目に入ってきた。「なんだろうな。」と一瞬思ったが、ドアがしまり電車が動き出し、すぐにサークルの仲間と楽しい一日をすごせるなと二つ先の駅に着くとキャンパスに隣接のグラウンドに向かった。試合ではホームランを“かっとばし”、大いに青春とやらを謳歌していた。

 

当時住んでいた横浜の家に着き、夕刊(当時は日曜日にも発行していた)をみて、ソフトボールを楽しんでいた、ほぼ同じ時刻に同じ青空の下、首相の南ヴェトナム訪問阻止闘争が羽田であり、警備の機動隊とデモ隊の衝突のなかで、同じ18歳の大学1年生山崎博昭さんの命が失われたことを報じていた。衝撃であった。

 何事が起ったのか、理解するには長い時間がかかることになるが、その日以降、確実に何かが動き出し、人により時間の早い・遅いの違いはあっても、多くの人の心がざわめくようになったのではないだろうか。いわゆる10・8ショック.

 

 今日の青空を見て、不意に、「10・8(ジュッパチ)、か」と。

 

(ネットで「10・8」を検索すると、ウィキペディアの10・8決戦「1994年10月8日名古屋市ナゴヤ球場で行われたセ・リーグの中日対巨人戦最終戦」が最初に出てきます。

「プロ野球史上初めて公式戦の勝率が同率首位で並んだチーム同士の最終戦での直接対戦によって優勝チームが決定した。日本社会の広い範囲から注目された事象である。」  そういえば、決戦だという言葉が飛び交っていたように記憶する。バブル景気の余韻があった時期と記憶しているがどうであろう。

いずれにしても「隔世の感」があり、こちらも「ショック」。)

 

2011年10月8日、記す。