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追悼 吉本隆明

巨きな人が逝きました。享年87歳。そして、2週間が過ぎました。

 

「おい、吉本の『共同幻想論』を読んだか。」「おお、あれは読まないとな。」教室の後ろの方からそんな会話が聞こえてきました。大学2年目の教室でした。

当時、多くの学生が読んでいたらしいことは耳に入ってきていましたが、店主にとっては「吉本隆明」は??の存在でした。1968年という時代のなかで、世の中のことに関心を持ち始めていた店主は、心中秘かに「読んでみようか」と、書店でなんとなくドキドキしながら手に取り、レジに持っていき、買い求めたという記憶がある。

さて、冬休みにじっくりと読もうと、その「共同幻想論」を開いたが、<序>を読み始めたがなかなか前に進まず、歯が立たない。柳田國男(民俗学)を知らず、古事記(古代史学)など無論読んだこともない浅学なものに理解することなど到底無理なお話であった。

 

 その後、「自立の思想的拠点」(昭和43年10月15日第8刷)を古本屋で購入し、よみはじめた。

巻頭の詩「この執着はなぜ」「告知する歌」の詩に引き込まれ、「自立の思想的拠点」、「思想的弁護論」「戦後思想の荒廃」「情況とは何か」の各評論が、なんとなくもやもやしていたものを非常にすっきりとした形で解いてくれたように思いました。以後、出始めた勁草書房刊・全著作集の「第13巻・政治思想評論集」(昭和45年1月20日第3刷)は店主にとって世の中(「世界」)を見る羅針盤のように思えました。

 (その著作集第13巻のなかの「労働組合運動の初歩的な段階から」にある4編は店主にとっては、社会に出てからのある時期、幾度となく読み返す、本当に身に沁みる文章でありました。)

 

 いくつもの追悼の言葉が新聞等に掲載された中で高橋源一郎さんの「吉本隆明さんを悼む」-思想の「後ろ姿」見せてくれた-(2012・3・19朝日新聞朝刊)がしっくりきました。

「吉本さんは長い間にわたって、多くの人たちに影響を与えつづけてきた。けれども、その影響の度合いは、どこでどんな風に出会ったかで、違うのかもしれない。」

「吉本さんが亡くなり、ぼくたちは、ほんとうにひとりになったのだ。」

 

何度か挑戦しましたが、そのたびに跳ね返された!?「共同幻想論」にもう一度挑戦してみよう。と思います。

合掌

 

追記

3月27日朝日新聞夕刊に姜尚中さんの「吉本隆明を悼む」が載りました。吉本が1980年代に「いつの間にか大衆の欲望をフェテッシュに担ぎ回る消費資本主義のトリックスターに変貌」した。丸山真男と比べ、どちらが「無限の進歩と科学万能を信じて疑わない『近代主義者』なのか、瞭然ではないか。」

そして吉本の「思想的命脈は尽きていたのである。」と断じている。

 

急いで依頼された文章かどうかわかりませんが、言葉の使い方に少し違和感を感じさせる追悼文になっているように思えました。

いわく「大衆の実感に寄り添う吉本の思想が辿らざるをえなかった必然であった。それは大西巨人の言葉を使えば、『俗情との結託』といえるはずだ。」

「空前の原発事故を目撃しても、科学によって科学の限界を超えられると嘯(うそぶ)いた吉本に」など。

 

何か「吉本隆明」さんを巡って<乱闘>が起きるのではないかと予感させるような追悼の文章と感じましたが、いかがでしょうか。