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島倉千代子という人生

11月8日午後2時ごろ電話のベルが鳴った。

「Azuki堂さんですか」

「はいそうですが。」

「『島倉千代子という人生』の在庫はありますか」

「あると思いますが、ネットでご覧になったのでしょうか」

「急ぎで手に入れたいので買いに行きたいのですが」

「申し訳ありません店舗がありませんので、お急ぎであれば明日手配いたしますが」

「できればすぐにでもいただきたいのですが。三省堂古書館にはおいていませんか」

「生憎とおいていませんので、もし、よろしければ明日、古書館に行きますのでカウンターに預けることはできますが。」

「お願いします。」

 

あるテレビ局の関連会社の注文でした。何か島倉千代子の番組作成の参考に使うのかなと思いました。

 夕方5時のNHKラジオのニュースで島倉千代子さんが亡くなったことを知った。

「あ、そういうことか」と納得しました。

 

日経新聞記者の田勢康弘さんが書いた「島倉千代子という人生」は出版されたときにすぐに買って読みました。

 

♪ りんりん りんどうの花咲くころ

  姉さは馬こでお嫁にいった

  りんりん りんどうは濃むらさき

  姉さの小袖も 濃むらさき 濃むらさき

  ハイノハイノハイ

 

小学1年生の夏休みだったか、父の故郷大分へ兄と二人でひと月ほど父の兄妹の家にお世話になった。父の長姉の息子Yさん(つまりは私の従兄)が映写技師で、よく映画館に連れて行ってもらい上映中の映画をたくさん見た。その中の一つに高田浩吉主演「りんどう峠」があった。島倉千代子さんも映画初出演?で「りんどう峠」を歌っていた記憶があります。若くて可憐なお姉さんだなと。

 今は亡き父は、「俺は島倉千代子が好きじゃない。」「なんで」と聞いたら「あいつの歌が流れるとパチンコの玉が出なくなるんだ」などと他愛のないことをいっていたのを思い出します。

 美空ひばりの蔭でいつも二番手のイメージがありますが、昭和30年代の歌謡曲黄金時代を彩った一人としてまぎれもなく上手な歌い手さんであり、何度も不死鳥のように甦って、息の長い歌手でした。    合掌